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名入れの学校〜名入れ博士への道〜

ここはベテランの名入れ先生が名入れの歴史から、その効果・影響などを多くの経験と幅広い知識で講義し、貴方を名入れ博士にしようと開講した学校だ!

名入れの歴史とこれから2008.12.16更新

1.浮世絵とカレンダーの意外な関係

浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。初期は歌舞伎の役者画などから1765年(明和2年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵(吾妻錦絵)を編み出したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられるだろう。その後経済の発展とともに下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができたことで、現在で言うところの多色刷り印刷が可能になった。看板娘などを描いた美人画や役者絵などがリアルに表現されるようになり、人々の間で広まっていった。その後、戯画や春画などといった当時の娯楽的な題材が人々の間で広まり親しまれ、ブロマイドやチラシ、漫画というような存在を確立した。


その後明治中頃、今から約100年前に伊勢暦が流行し、当時の商人が正月の伊勢詣で買って人々に配り始めたのがはじめと言われている。その後“伊勢暦”からヒントを得て、大阪で各商店向けに日めくりカレンダーを全国に広めていった。年末の挨拶回りに各商店の店名が印刷された日めくりカレンダーを配り人々の中に浸透していき、戦前まで日めくりのカレンダーが中心だったが戦後、印刷技術の進歩と共に現在の綺麗なカレンダーへとシフトしていった。ここで明治時代の浮世絵が発達したのと同様にアイドルや風景、名画などといった絵と暦を組み合わせた暦へと移行していった。戦後の好景気には、大企業が宣伝の一環としてカレンダーを制作しカレンダーが宣伝材料やブランド戦略の一つとして拡がって行った。


平成に入り徐々に人々の嗜好に変化が見られ、実際に使うカレンダーは自分の使いやすい、また好みの絵柄のカレンダーを自分で購入するという動きにシフトして行き、書店や文具店では年末の商材として定着してからは少しずつ企業カレンダーの意義は薄れていったのです。


2.テレビCMで流れるURLや電話番号は多くの視聴者に認知されていない

インターネットはまさに広告の宣伝の方法にも大きな影響を与えました。ある会社のテレビCMとインターネット利用に関するアンケートの調査結果によると、テレビCMで URLを見たことや聞いたことがあると答えた人は全体の約80%を占めたものの、そのうち「URLを覚えている」と答えた人は30%を下回る結果となり、もっとも大きな影響力を与えるというテレビCMでさえ、URLを視聴者に覚えてもらうことは困難であることを示す結果となった。


3.現代版の広告塔

一般的に名入れグッズと言えば、ボールペン・メモ帳・ティッシュなどが作られているが、どれも消耗品として使用後は捨てられ名入れのグッズとしては短命に終わることが多い。また、前節で考えたURLなども以前のように直接入力する人は今では殆どいないであろう。かつてのキーホルダーや携帯ストラップなど全盛期の時にはそれなりの効果があったかも知れないが、各携帯キャリアが発売する携帯の形状が二つ折りの端末になってからと言うもの、国内においてはストラップ自体を使用する方も減少しているのが現状である。


各企業はノベルティグッズとして費用対効果の高いものを求めるとともに、目新しいもの、サプライズを与えられるものを求め、一方個人としてはより個性的なものを求める傾向の強い現代においては、一企業が作り出すロゴや商品名を入れたグッズは衰退化の一途をたどっていると言える。


4.ロゴや商品名を入れる最適なグッズとは

物があふれている現代においては、タダだからもらうと言うよりは、「これなら使ってみたい」と思わせる商品選択が重要である。ひとつにはターゲットをよく絞り込んで、どんな層に訴求したいのか?その人々のトレンドとは?という最低限のリサーチを元に、只ロゴやマークが印刷しておると言うものよりは全くのオリジナルもしくはアレンジすることが必要と言えるだろう。もちろん作る数量や予算によっても出来ることと出来ないことは在るかも知れないが、ないか作ればいいと言う発想は全くと言って良い程、ナンセンスであろう。どぶにお金を捨てるようなものである。そのくらいなら毎月ではなく一年に一回でもいいので、本当に価値のあるものを制作すべきであろう。